Read Article

演奏が魅力的になるかもしれないヒントとアナリーゼの思考法

演奏が魅力的になるかもしれないヒントとアナリーゼの思考法
Pocket

人の弾く演奏を見ていてなんか妙に惹きつけられることはありませんか?

前回の記事では、

実は演奏を聞いているようで、動物的本能でその人の生き様みたいなものを感じ取っているのでは?

というごたくを述べてみました。
(記事はコチラ→コンサートで聞いてるのって実は...

 

「袖から出てきた時に場の空気が変わった」
そう言われたことがあったという話は前回の記事でも書きました。

 

色眼鏡でみてただけ。
なんだと思うんですけどね。

でも、本当にこれが事実であるならば
これが意図的に出来れば、それはそれでいいのではないか。

 

そう思いません?

弾く前にもう魅了出来たら、と。。

とすると、考えられる選択肢としては、

①色眼鏡をかけさせる
②その空気を纏う

どちらかということになる。

 

特に②の【空気を纏う】ために
少しでも出来ることはなにか。

 

空気はどうやって生まれるのだろう。
自信?

 

僕は理屈屋なので、精神論が大嫌いですが
今回はかなり精神論な話しであります。

 

で、書いてみたら、結局これってアナリーゼなんじゃない?
という気もしてきたので、そういう視点で書いています。

※アナリーゼとは楽曲分析と訳されて、一般的には楽曲の構造や和音の構成、曲の展開などを分析していくことを言います。

アナリーゼとは作り手側の思考をトレースすること

やはりどれだけ曲を向き合うか、だと思うんです。
それは間違いなく演奏に表れてくる。

わかるやつにはわかる。

で、曲と向き合うためにどうするか。
よく言われるのが、

作曲者の意図を感じろ

とか。

 

でもやっぱり自分で曲を書いたことのない人には難しいと思うんです。
逆に言えば、「何かを生み出すというクリエイティブな作業」をしたことがあれば
嫌でも感じ取れてるもんでもある。

 

難しいから「アナリーゼ」ってのをしてみようという話しになる。
楽典的に分析してみたりすると。
冒頭はヘ長調で始まって…
ドミナント終止で、展開する…
ここの進行は他調の和音と、提示部の展開うんぬん…

 

なるほど、なるほど。

 

で?なんなの?

 

という話しだ。

 

そう、だって楽譜を読む力と言うよりは、「行間を読む力」に近い。
(アナリーゼは本来そうであるべきだと思う。)

 

大切なのは「なぜそういう風にしたのか」という部分。

それを感じ取る本質的な能力と、あとちょっとばかしの理論がわかっていれば、演奏にも生きてくると思う。

 

行間を読む反射神経を上げればアナリーゼは出来るようになる

一をもって十を知る】という言葉があるけれども、
1から10、あるいは1から100を読み解ける能力と読み解こうとする努力が必要なんじゃないかと思う訳です。

そのときの場合はやりやすかったですよ。
それは三島由紀夫の作品を題材に書かれた曲だったんです。

曲としてはものすごくシンプルで静かな曲で、映像につけられたもの。
(まあそもそも大曲なんて弾けません)

 

だからまあ三島作品を読みますよね。

それこそ貪るように。
三島の書いた小説も全部目を通し
三島に関する解説本や論文、
それから三島に影響を受けたと言われる人の作品(小説でも映画でも)
そしてその人らが三島のどういう部分に惹かれたのかも丁寧に拾う。

 

きっと作曲家はおんなじことをしていたはずですからね。
いや、こういう作業をしていないにしても、
例えば今回の場合であれば、三島由紀夫の作品に何かしらの
インスピレーションを得て曲に落とし込んでるわけですよね。

 

で、ここで終わっては「ふーんそうなんだ」に過ぎないので、、。

その「インスピレーションの源」を探す訳です。

そのためには、
①そもそも三島由紀夫の作品ってのはどんなものかを体感する
②世間的評価や位置づけを理解する
③影響を受けたひと(良くも悪くも)がどういう部分に惹かれたのを理解する

①まず自分の感性で読んでみる
すると、、、
・華美
・漢字が多い。笑
・重い。笑

という感想を持つ。

②世間的な評価をまとめると
・潔
・静謐
・耽美

どうやらここらへんがキーワードとして出てくる。

 

③影響を受けたという著名人が上げるワード
・人工
・霊格
・格調
・古典

が多く、惹かれたポイントのようだ。

 

ということが見えてくる。。

そうすると、なんとなくわかってくる。
その時代のなかでどのような位置づけだったとか

 

大体そのような評価であれば
作曲家もそういう風に三島作品を捉えていたと考えられる

 

そう思って楽譜を見ると。

 

「耽美な世界を精密に表現しているのを、音楽で殺さないように音数を減らしているのだろう」
とか
「だからメロディーというよりはサウンドに近いのかもしれない」
とか
「格調高い雰囲気を崩さないように古典的な和声進行のみで作っているんだ」
とかそういう【意図】や【意思】が見えてくる。

 

 

だから何が言いたいかというと
「思考プロセスが全く逆である」ということ。

 

 

自分で書いてみたらいいんですよ。

普通のプロセスとしては、楽譜から意図を読み込む。
そのために和音の構成とか、そういうのを見ていく。

でもそうではなくて、作曲家がその曲を作ったときと全く同じ思考回路をトレースする方がよっぽど効果があるのじゃなかろうかという提言です。

 

その曲を書いたのが自分と思えるくらい、だ。

やり手の刑事が、自分自身を犯人と洗脳して
(犯人の趣味・思想・クセ、対人関係まで)で、
犯行現場で同じ状況を再現してみる。という捜査をするらしい。
するとあれよあれよと犯人の行動がわかる、というがもはやそのレベル。

 

だからもうね、曲を書いてみたらいいんだと思います。
前述のようないろいろな世界観とか価値観とかがわかったところで、
自分で曲を書いてみる。

 

で、どこをどう表現しようかとかいろいろ考える。

 

その取り組みを経て、
それとその作曲家の作品を比べればわかる。

 

作曲って、インスピレーションが舞い降りてくるとかいう頭の中お花畑みたいなもんでもないし、
佐村河内みたいに、呪文みたいなの唱えながら音楽の神様が降りてくるのを待つとか言う宗教的行為でも
そうしていれば、誰かが代わりに書いてくれるというもんでもないと思うんです。

 

四苦八苦してるんですよ。
だって次の音がドでもレでもいい訳ですし
オーボエが吹こうがクラリネットが吹こうが構わない訳です。

 

理論的に間違っていなければ。

 

でも、そっちの方がいいはずだとあーだこーだやっているうちに
それ以外の選択肢がありえない」という状態に【昇華】していくわけです。

 

だからトップダウンじゃなくてボトムアップ

 

なのに、トップダウンで思考していくひとが多い。

 

楽譜ってのはある意味そのトップの部分ですよ。
一をもって十を知る】で言えば【一】の部分です。

 

けれどもそれは所詮、音符と言う圧縮された文字情報に過ぎないんですよね。
【一】は1であって、どっから眺めても変わらない「1」に過ぎないんです。

 

でもその「1」が「意味していること」と「意味しうること」はちょっと違うわけですよ。
だからその圧縮ファイルを僕らは解凍しなきゃいけないんです。
でもその展開の方法が分からなかったり、1クリックで出来ないのであれば、
僕らに出来ることって「そもそもどうやって情報を圧縮したのか」という圧縮する過程自体をなぞってみるしかない

 

これだけやれば、誰より曲を理解しているという自負が生まれるでしょ。

こんだけやってみるんです。
もちろん、技術的な問題をクリアしてなきゃ本末転倒ですよ?
(ちゃんと弾けて、そのための技術もある)

 

ただ単に「原作を読んだ」とかだけでも
だいぶ違うわけじゃないですか?

それをここまでやってみたらどうですかね?
圧倒的な自信になりますよ、絶対。

 

で、その自信や自負はにじみ出ているはずなんです

たぶんそのときの僕は「三島の化身」だったと思いますよ。
もしたしたら、般若のような形相をしていたかもしれません。ええ。

 

例えば、「原作はあえて読んでないです」という俳優とか映画監督は
まあ個人的にはべつに全然いいんじゃないと思っている。

が、やっぱり姿勢としていかがとは思うしそれを言っちゃうのは
中二病みたいだなと思う。

まあそれでいいとは思うけど、僕はごめんだね。

実はこれがアペルトというサービスを立ち上げるに至った理由のひとつだ。

ここまでツラツラと書いてきたようなことが、
「場の空気を変える」ことに一役買っていると思う。

 

「修羅場をくぐり抜けた」ような変わった経験している人はオーラみたいになって出る。
でも、修羅場自体は作れないし疑似体験させることも出来ない。

 

どうぞ各自勝手に経験してくれ。

 

でもそれじゃあまりにツマラナイ。
何か演奏の魅力をグッと上げるために、なにか僕らが出来ることはないのかと。

いや、待て。
知識や学びのような「理論武装」の面ならいくらでも出来ることはあるなと。

そして僕はそういうのが血肉になるとも思っている。

 

じゃあそれを提供しよう。

そんな具合だ。

技術は大事。でも技術以外も大事。でもやっぱり技術が大事

豊かな演奏に必要なのはなんなのか。

技術?
表現力?
経験?

 

結論、全部だ。

 

その比率をどう取るかとも考えていいかもしれない。
本番の日は変わらないワケで、今出来ることを考えたら、
技術が足りてないなら、知性の部分で補うしかない。

 

し、短期的な効力は高いはず。

 

 

「技術」は必要。
でも「表現力」も必要。
だけれども「表現力」もまた「技術」

 

技術が浅くても心を打つのは事実。
「あそこのフレーズの処理が甘い。」
とかいう専門家の批評は知りません。

やっかみではなく、たしかにそれは事実でもある。
でも、胸に響かないのはそれはそれで感性を疑いますよ?先生方。

 

しかし、こうした表現力自体を、
体系化して、会得出来るようになっていたり、
」というもので表現しているのが、能や狂言などの古典芸能の世界。

 

ならば、それもまた技術である。

むずかしいね、人生。

 

さて...

まあそんな具合でですね、、

いろんな形で、自分を磨き上げようとしているひとに
ちょっとでも力になれることが出来たら
こういう心を打つ演奏家がもっと増えるのではないかなと。
で、そういう人の演奏はやっぱり聞きたいし、
そういう人たちが多く集まったらそれはそれで面白いことが出来ると思うんですよね。

 

おわり

Pocket

URL :
TRACKBACK URL :

LEAVE A REPLY

*
*
* (公開されません)

COMMENT ON FACEBOOK

Return Top