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音痴のひとや歌が苦手な人が持つべき心構え。

音痴のひとや歌が苦手な人が持つべき心構え。
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音痴とはなにか

一般的には音の調子が合わないとか、音が合ってないまま歌っているひとのことを指しますね。
つまり、適切な発声が出来ていない状況。

で、一口に音痴と言っても2パターンあると思うんですね。

・ひとつは音がずれているということに気づかない
・もうひとつは音がずれているのはわかるけど音が取れない

大抵の場合は後者が多くて、
「わたし音痴だから恥ずかしい…」
というのは自覚症状があるので後者のパターンかと思います。

前者の場合も…

そもそもドレミファソラシドという「音程」が身についていないだけの話ではないか

というのが僕の持論

 

本来は音なんて無限にあるわけで、それを便宜上12平均律といって
12個のドレミファソラシドに分けたのが西洋音階。

そうなんですよ?
音がドレミファソラシドだけだと思ったら大間違いです。

インドだったり日本もそうですが、音階が違いますからねー。

つまり
世の中にごまんとある色を無理やり12色に絞っているようなもので
その12色の色が正確に作れない・つかめなかったとしても無理はないですよね?

まずはその色の存在自体を知らないといけないし
赤は「赤色」で、ピンクでもエンジでもないということを覚えなければならない。
(PCなどでの色表記で赤は#ff0000 と表すがそれだということ)

音ってのは周波数なんですよね。
ドの音は◯ヘルツでラの音は440ヘルツ。
493ヘルツになったらシになるとか決まっているわけです。

なので、そもそもこの部分が分かってないと
音が取れないのもムリはないよね?というのが1個目のお話。

と思うと、生まれつき絶対音感なんですぅ〜
とかいうヤツはアホかと思えてもきてしまいます。

もちろんうまれつき音感がずば抜けて高いことはあると思う
が、それをドレミファソラシドに当てはめるのはまた別の能力だと思うんですよね。

つまり、世間で言うところの絶対音感は多分、聞いた音が何ヘルツか言い当てられる能力。
でもそれにはそもそも「ドレミファソラシド」を知らなきゃいけないわけですから。。

なんだかこう「絶対音感が偉い」みたいな風潮があるけど
そんなのは音叉みたいなもんで、別にだからといって音楽性に富んでいるとかそういうことにはならんと思うのですよね。。。

さて、話がそれましたので話しを戻しましょう。。

音痴には

・ひとつは音がずれているということに気づかない

・もうひとつは音がずれているのはわかるけど音が取れない

の2パターンあると言いましたが

後者の方の音痴の場合…

音がズレているという自覚があるので、感覚とのズレを調整していけばよい

野球のピッチングと同じだと思うんですよね、極論。
音の玉を届かせるという意味では野球と似たようなもんじゃないのかなと。

野球だってはじめからビシっと投げられるわけではない

し、手首だけで投げてるわけでなくて
足を踏み込むところから身体をしなり、手からボールが放たれる瞬間にすべてのエネルギーがそこに流れていくように、すべての動作が出来ているというか、ひとつの流れができていると思うんです。

これは歌でも同じ

そのためにはトレーニングが必要だし
フォームを身に着けなくてはならない。
自分の癖を知らないといけない。

変化球を投げたいなら握り方を覚えなければならないし
球速を上げたいなら筋トレも必要かもしれない

喉だけで歌ってしまうとか
ミックスボイスだとかそういった言葉に囚われたりとかしてしまうのはそういう感覚が持てていないのだと思います。

歌であってもスポーツと一緒
思い切りぶん投げているひとの球が速いわけではないし
思い切り泳いでいるひとが速いわけではない

涼しそうな顔して泳いでるのに全然追いつけないとか、あるしね。

楽に歌ってて、大きな声じゃないのに遠くまでちゃんと届いてるとか、さ。

そういうものなんだ、というスタンスで取り組むのとそうでないのとは大きな違いがあると思います。

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